活動報告6(第17回~第19回)


第19回楠公研究会「第四回総会」

(平成31年4月8日)

第三回楠公研究会総会、盛会裡に開催させていただきました事、ご報告させていただきます。
 

 

冒頭では、福井からお越し下さいました無双直伝英信流教士七段の森丈男先生、そして弊会会員でいらっしゃる田邊広一様から、剣舞のご披露をいただきました。
 
 
続いて、同じく弊会会員にして多度大社権禰宜の伊藤彰教様から、龍笛のご披露をいただきました。
 
 
総会後は、昨年度の調査成果も兼ねての不肖私の講話をさせていただき、昨年一年の成果のうち一部をお話しさせていただきました。
 

 

 

総会では、会則と会計報告、今年度から施行させていただきます年会費制度等につきまして、皆様からご承認をいただきました。
よって、今年度より、年会費(三千円・来年3月末まで)制度の導入が決定されました事を茲にご報告させていただきます。
 

 

 
遠路は東京や福井から、また、ご厚意にて剣舞や龍笛のご披露を下さいました皆様、大変ご多忙の折にも関わらず、その合間を縫ってお越し下さいました皆様に、心からの深謝を申し上げます。
また、大河ドラマ誘致の署名にも皆様にご理解ご協力いただき、ありがとうございました。
 

 

この日は、まるで天も総会を寿いてくださっているかのような抜けるような晴天に恵まれた上、桜もこの日とばかりに満開を迎え、大楠公を始め国家に殉じた神々よりご歓迎をいただいているように感じ、とても有り難き事でした。

 

 

皆様のお心遣いに支えられているからこそ、継続させていただく事ができている楠公研究会でございます。

 

皆様への感謝を片時も忘れる事無く、今後も精進してまいります。
今後とも、宜しくお願い申し上げます。

 

第18回楠公研究会

「信貴山楠公秘話~朝護孫子寺~」

(平成31年3月16日)

 

 

第18回楠公研究会「信貴山楠公物語」、盛会裡に終える事ができました。
開催するに当たり、お世話になりました信貴山朝護孫子寺法主・野澤密孝猊下様を始めご関係の皆様、ご参加くださいました皆様に、心より厚く御礼申し上げます。

 

会の始めにあたり、野澤猊下様より、朝護孫子寺の縁起と、楠公との関わり等をご講話いただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

講話後は、境内をご案内いただき、通常には立ち入れぬ本堂内陣にて参拝をさせていただく栄を賜り、感動致しました。

 

 

 

 

 

 

改めて、朝護孫子寺と楠木一族との関わりの深さと、朝護孫子寺が国家に果たしてきた縁起や役割等を学ぶ事ができました。

 

また、朝護孫子寺の野澤法主のお話を直接お聴きするのは非常に貴重な機会であるだけに、参加してくださいました皆様も大いに感激されておられました。

 

この度、お心遣いを賜りました皆様に、心より深く感謝御礼を申し上げます。

 

 

 

信貴山朝護孫子寺での勉強会終了後、ご参加の有志の方々と三郷町にて懇親会。

 

選挙戦直前にて大変ご多忙の中、三郷町の町議会議員で弊会顧問でもいらっしゃる木谷慎一郎様も公務を終えられた後、ご挨拶に駆け付けて下さいました。

 

 

朝護孫子寺のある平群町の隣が三郷町。
町内には龍田大社が鎮座され、すぐ近くの斑鳩町・法隆寺、平群町・朝護孫子寺等、名だたる史跡名勝に囲まれた歴史ある町です。

 

参加者の皆様ともより親睦を深める事ができました事、とても嬉しく存じます。
とても素敵な懇親会会場「カフェ智栄」をご紹介くださいました木谷町議に感謝すると共に、来たる選挙での武運長久を心から祈念しております。


そして、研究会、懇親会、それぞれにご参加くださいました皆様に、厚く深謝申し上げます。

 

第17回楠公研究会「阿部野神社」

(平成31年2月22日)

第17回楠公研究会、盛況裡に開催させていただきました。

 


後醍醐天皇が最も信頼を寄せた人物の1人、北畠親房公そして、その嫡男の北畠顕家公。
顕家公が奮戦された阿部野の戦いの古戦場の地に阿部野神社が創建されました。

 

 

 

中塚宮司様から茶菓のご接待をいただきつつご講話をいただきました。
大河ドラマ「太平記」の北畠父子像が印象に残る方も多いかもしれませんが、その真実の姿は偉大な事蹟を遺された父子の姿であり、後醍醐天皇の民を純粋に思われた大御心についても学ばせていただきました。

 

 

 

 

 

 

また、中塚様の格別なるお計らいにより、北畠家が使用した「風林火山」の旗印のレプリカも特別に拝見させていただき、一同、非常に驚きました。
この北畠家の旗印に、大楠公の菊水を冠した旗とが並び立ち、大いなる力強さを感じました。

 

 

講話後の阿倍野神社境内をご案内いただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

引き続き、中塚宮司様の格別なるご厚意にて、北畠公園内にお祀りされる北畠顕家公墓所内に特別に立ち入らせていただき参拝をさせていただきました。

 

 

顕家公の間近に侍らせていただきお参りをさせていただき、顕家公の熱き赤誠の志を強く感じ、感激もひとしおでした。

 

 

 

 

墓所参拝後は、非公開「顕家会館」内にも特別に立ち入らせていただき、顕家公のご尊像を拝観させていただきました。

 

 

ご尊像は、まさに花将軍の再来であり、その威厳と気高さは只ならぬものがございました。...

 

地元の氏子の方々ですら、墓所内も顕家会館内も入られる事を許されぬところ、今回、私どもの為に格別なお計らいをいただきました事に、感謝の尽きぬ思いでございます。

 

僅か21歳で散った顕家公は、その短いご生涯の中で、人智を遥かに凌駕する偉大な事蹟を遺されたました。


奥州から都まで約800キロもの道のりを僅か半月で駆け抜けるという想像を超える大返しも敢行。
これは、秀吉の「中国大返し」の2倍という恐るべき速さでした。


また、父の親房公は、最愛の嫡男・顕家の死、何よりの精神の支えであった後醍醐天皇崩御という絶望の淵を乗り越え、かの「神皇正統記」を、都から遥か離れた地・常陸国の小田城にて著し、国家と皇統のあるべき形を後世にしっかりと遺されたのです。

 

吉野朝の忠臣たちの不撓不屈の生き様は、我々に勇気と激励を与え続けるものに相違ありません。
御世代わりという時代の大きな転換期を迎えんとする今こそ、吉野朝の勤皇の誠の封印を解く時に至ったと確信しています。