活動報告1(第一回~第四回)

第四回楠公研究会「千早城攻防戦全容と名城の謎に迫る」(平成29年10月22日)

第四回楠公研究会「千早城攻防戦全容と名城の謎に迫る」は、台風の影響による大雨の中にもかかわらず、多くの皆様にご参加を賜りました。

遠くは広島市や兵庫県小野市、和歌山市からお運びいただきました方々を始め皆様の篤き赤誠のお志に改めて深謝。

勉強会進行中は降雨はあったものの、さほど風もなく、講師の千早神社神職様やご参加者の方々と相談の上、多少雨バージョンへのスケジュール変更をしつつ、千早城登城を決行。

「よくぞ決行してくれた」「主催者は元自衛隊員?」「本日は特攻精神、楠公精神の気概で参りました」等等のご参加者の嬉しいお声の中、地元の方のみぞ知る裏道から中腹まで車で登り、そこからは徒歩僅かに10分程度で千早城へ。

この裏道辺りは「風呂谷」「かけはし」という地名が残っている事からも察せられるように、千早城攻防戦において、雲梯の計が仕掛けられた場所。

辺りを見回すと、なるほど、長梯子をかけるに相応しい地形となっており、目の前で燃え盛る梯子から多くの幕府軍が落下する様が蘇るかの如きでした。

ちょうどこの辺りが長梯子のかけられた谷あい↓

千早城内へ入り、二の丸跡に鎮座する千早神社にお参りし吉野朝の忠臣の御霊に拝礼。

その後は、城内の各櫓跡を巡り、千早城の百日にも及ぶ籠城戦の詳細を学びました。

千早城の全貌は馬の背のような高低差のある自然の地形を活かした要塞となっており、四の丸、三の丸、二の丸、本丸と一直線に構成され、各所に出丸が築かれました。

↑は、三の丸に抜ける堀切。

↓は城内で最も広い四の丸。

この辺りは、深い渓谷の多い地形の為、非常に攻めにくく守り易い地形となっているこの地を籠城の拠点に選択、まずは周辺に水を引き水城として幕府軍を迎え討つ所より、元弘3年2月から5月にも亘る楠木軍約千人vs幕府軍数万という千早城攻防戦の火蓋が切って落とされます。

幕府軍は和歌山側、奈良側、正面の三方より攻め寄せてきました。

金剛山頂の現在の葛木神社近くの転法輪寺勢力を恐れた幕府軍は、金剛山側からは攻める事が不可能であったようです。

数々の出丸(曲輪)群から断崖絶壁を見下ろすにつけ、ここから攻め登ってきた幕府の兵達に対し、岩や大木を落とし、藁人形の計等、激しい攻防戦を繰り広げた当時の様子を目の当たりにする思いでした。

昭和11年に千早城内に建造された存道館も見学させていただきました。

存道館は千早城の出丸趾であり、籠城に備えて畑も整備されていた「茶屋の段」に、当時の大阪府知事・安井英二氏の提唱により武館・文館と別れて建てられた楠公精神敷衍を目指した修養道場で、現在は非公開となっています。

更に興味深いのは、存道館記の碑が水戸の栗原石工の御影石を用いて建立された事、そして、同じく水戸藩校の弘道館を手本に建てられた事。

楠公精神と水戸学の精神との非常に強い結びつきが窺われ、これは是非とも水戸の皆様にお伝えしなくてはと感じました。

さて、下山後は、千早神社神職様のご自宅に於いて、千早城の戦いの詳細について講義を受け、城の構造はもちろん、その戦術内容の詳細に至るまで詳しくご説明いただきました。

更に、楠公研究者で知られる平泉澄博士ゆかりの存道館記の碑拓本の神職様所持の掛軸も特別に拝観させていただき、その後はコーヒーの接待のご厚誼まで賜りつつ、ご参加の方々一同で講義内容にまつわる座談会を楽しみました。

神職様の御自宅を後にし、千早赤阪村立郷土資料館へ。

ここでも神職様にご丁重な解説をいただきつつ、更に学びを深める事ができました。

第四回楠公研究会も、他では経験できぬような貴重な体験をさせていただき、今回も感激至極、参加者の皆様からもお喜びいただき、盛況裡に終える事ができました。

研究会を終え、その後は折からの台風も心配でしたので早めに勉強会を前倒しし、河内長野駅前の王将にて懇親会ならぬ夕食会へ。

ここでは、歴史談義に花が咲き、ご参加者の皆様相互の更なる親交を深めていただく事ができました。

今回も皆様のお陰様にて、大変学び多き有意義な研究会となりました。

お車のご配慮も賜りました方々には、重ねて深く感謝御礼申し上げます。

さて、次回の第五回楠公研究会は11月20日吉野の如意輪寺にて開催致します。

加島公信住職様からのご法話を始めとし、小楠公自筆の時世も拝観させていただきつつ、吉野朝の歴史と小楠公とそれにまつわる方々の事蹟を学んでまいります。

お申し込みはこちらから受付中↓

https://www.facebook.com/events/281162539042576/?ti=cl

多くの皆様のご参加をお待ちしております。

※写真は神職様始め皆様のご了解をいただき公開させていただいております事、また、千早城登城はご参加の皆様とのご相談の上決定しました事等、ご了承ください。

久々に楠公研究会チャンネルも更新いたしましたので、宜しければご高覧くださいませ↓


第三回楠公研究会「大楠公の智略の源流~観心寺と大江時親邸~」(平成29年9月25日)

第三回楠公研究会「大楠公の智略の源流~観心寺・大江時親邸趾~」は今回も多数の皆様のご参加により盛況裡に無事開催することができました。

今回も遠く東京からのご参加や、市議会議員の先生方もご多忙中にも関わらずご参加くださり、誠に有り難い限りでした。

まずは山門前にて、馬上の大楠公がお出迎え。

こちらで参加者の皆様の受付を行い、いよいよ境内へ。

大楠公が8歳から15歳まで学んだ地とされる楠公学問所の門。

楠公学問所の門をくぐった先に建つ建物が大楠公が学問を学ばれた中院となります。

当日は、こちらで観心寺長老の永島龍弘様より約一時間に亘り、少年時代の大楠公と、その後のご事蹟についてご法話を賜りました。

中院では、長老・永島龍弘様のご法話を賜り、大楠公が8歳から15歳まで、ここ中院にて当時の観心寺住職であった瀧覚坊に師事し、読み書きはもちろん「四恩の教え」所謂、父母、国、衆生、仏法三法の恩を深く学ばれた事、また、その後成人して武家の棟梁となられてからの大楠公のご事蹟と、境内にある首塚にまつわるお話等をお教えいただきました。

この日のご法話の際、我々楠公研究会の為に中院内の床の間に格別のご配慮にて掲げてくださっていた掛軸。

これは、後醍醐天皇の隠岐より京都御還幸の途上、播磨国より大楠公が入京の先導を仰せつかった際の様子を描いたもの。

大楠公の生涯の中で最大のクライマックスであったと言えます。

ご法話の後は、境内の見学へ。

まずは国宝の金堂。

こちらに、国宝の如意輪観音がお祀りされています。

重要文化財の建掛塔。

建武の中興が為った事への仏恩に感謝した大楠公が三重塔を寄進。

ところが、着工間もなく、大楠公が湊川で討ち死されたので、建物は一重の建て掛けのまま現存しています。

大楠公の首塚。

延元元年5月25日、湊川合戦において大楠公ご殉節の後、その首は暫しの間、六条河原で晒されたが、大楠公を敵ながら敬愛していた足利尊氏によって、間もなくここ観心寺に丁重に使者を立てて送り返しました。

その首は今もここ観心寺首塚に眠っていると伝わっています。

古典「太平記」によると、桜井の駅で父・大楠公と訣別した当時11歳の嫡男・小楠公は、父親の変わり果てた姿を見て、自らも後を追うべく父・大楠公の形見の短刀で腹を切ろうと自害を試みましたが、母の久子夫人によって「今自害するのは父に対する最大の不忠である。成人してしっかりと帝をお支えする事こそ父が最も望む親孝行である」と諭したと伝わります。

この母の教えをしっかりと守り、小楠公はその後、楠木家の当主として立派な武将と成長し、吉野朝の重要な柱となっていきます。 

重要文化財の恩賜講堂。

昭和天皇御即位大典の際して饗応場として京都御苑内に建造されたものを、後に観心寺に移築。

豪華な格子天井やシャンデリアが昭和初期の華やかさを今に伝えています。

観心寺にてお世話になった永島龍弘長老様を囲んで記念撮影。

多大のご配慮を誠にありがとうございます。

さて、その後は続いて、「大楠公通学の道」を通りながら、一路、大江時親邸へ。

その前に、河内長野郷土史家・竹鼻良介先生より大楠公が大江時親公より授けられた兵法「闘戦経」についてご講義いただき、しっかり予習してから、いよいよ次なる目的地・大江時親旧邸へ。

大楠公は観心寺で学問を修めた後、15歳からは加賀田の住人であり兵法家であった大江時親公に師事し、「闘戦経」を授けられました。

「孫子」に見られる中国の兵法に対して、「闘戦経」は日本的な兵法として大江匡房により伝えられました。

当日は、現大江家ご当主・大江禧昭様より詳しくご講義をいただきました。

また、今回のみ特別に非公開の大江家邸内も見学させていただきました。

通常、こちらは一切非公開となっており、大変貴重な機会に、参加者の皆様も興味深く学びを深めておられました。

尚、写真は特別に許可をいただいて掲載させていただいております。

また、敷地内には大楠公お手植えの枝垂桜も現存。

大江様にご案内いただきました。

敷地内に隣接して建立されている明治35年建碑の「大江修理亮時親遺蹟碑

ご当主の大江様を囲み、大江時親邸を前に記念撮影。

今回も、大変学び多き研究会となりました。

大江様の多大なご配慮に、この場をお借りし篤く御礼申し上げます。

研究会でしっかり学んだ後は、恒例の懇親会。

河内長野駅前の「魚民」さん、ありがとうございます。

皆様、南北朝の歴史談義に思い思い花を咲かせておられ、楽しい親睦のひとときとなりました。

この度も楠公研究会へご参加くださり誠にありがとうございました。


第二回楠公研究会「近江に伝わる吉野朝秘儀と護良親王追善法要」(平成29年7月24日)

第二回楠公研究会は、滋賀県は大津市に鎮座する近江神宮から始まりました。

今回は、そのほとんど全てが門外不出の内容となっており、参列者一同、一生に一度の貴重な経験に厳粛な心持ちを以て臨ませていただきました。

 

今回は、勉強会に先だって、まずは近江神宮御神苑の「宮蕎麦善庵」さんにて、懇親会を兼ねての昼食会。

ご主人のこだわりである六分挽きのお蕎麦は岩塩で共されるという、会津の伝統的な祝膳であり、非常に珍しいもの。

参加者は、勉強会を前に伝統料理を味わいながら相互の懇親を深めました。

ご主人からも、お蕎麦についてのお話をお聞かせいただきました。 

午後からは近江神宮にて、正式参拝をさせていただきました。

その後は、今回のみの非公開且つ門外不出の内容となりますので、詳細につきましては割愛させていただきますが、この二度と体験のできぬ特別な経験に参加者一同、感激もひとしおの様子でした。 

近江神宮参拝を終え、続いては、大津市内某所に於いて護良親王追善法要を執り行いました。

今回は全てが秘儀である為、当日の出席者のみに明かされる内容となり、こちらでの詳細の記載は控えさせていただきます。

しかし、この法要が行われた日は、護良親王のご命日という非常に縁深い日であり、有意義な法要をさせていただく事ができました。

また、法要後は、後醍醐天皇の側近であった文観上人が施した調伏の儀についての講義も受け、天皇が如何なる思いで鎌倉幕府打倒に立ち上がられたのか、その一端を窺えた思いでした。

吉野朝の歴史は秘められた部分も多く、それがかえって歴史ロマンに想いを馳せしむる魅力ともなっているのでしょう。

この度、非常に貴重な機会を与えてくださいましたご関係の皆様に感謝です。





第一回楠公研究会「水分荘と楠木氏」(平成29年6月21日)

去る2017年6月21日の第一回楠公研究会を行いました。

テーマは「水分荘と楠木氏」。

記念すべき初回に相応しく、我が国を代表する稀代の忠臣・大楠公を育んだ千早赤阪村に鎮座し、楠木氏が累代に亘って氏神として篤く崇敬してきた建水分神社での開催となりました。

写真は、摂社である南木神社にて。

延元元年、大楠公が湊川で自刃の後、その死を非常に悲しまれた後醍醐天皇が翌年に自ら大楠公像を刻んでそれを建水分神社境内にお祀りされた事が南木神社のご由緒であり、大楠公を祀る日本最古の神社でもあります。

その由緒から、摂社としては破格である官幣社建築に準じて造営されており、非常に立派な社殿となっています。

南木神社社殿前の由緒標は、陸軍大将・荒木貞夫男爵揮毫によるものです。

また、今回は建水分神社神職様による特別のお計らいにて、一般には非公開のご神域にて、格別なるご厚遇を賜りました。

決して公開される事のない貴重な機会に、参列者一同大いに感激してくださっていらっしゃいました。

写真掲載はもちろんの事、ご神域詳細につきましては、非公開の聖域に関わる事ですので、こちらでの詳細は控えさせていただきます。

この場をお借りし、建水分神社様に深く感謝申し上げます。

建水分神社正式参拝後は、社務所に於いて、改めて岡山禰宜様より建水分神社の説明と、茶菓のご接待をいただきました。

その後は、楠公研究家でいらっしゃる名城大学講師・久野潤氏に「水分荘と楠木氏」と題し講義。

歴史的資料に基づいて、楠木氏の出自や南河内に於ける楠木氏の勢力や支配体制がどのようなものであったのか、また、建水分神社と楠木氏との関係について、分かりやすく講義いただき、参加者皆様、熱心に聞き入っていらっしゃいました。

建水分神社を後にし、次なる目的地・楠公生誕地へ。

ここでは、千早赤阪村教育委員会事務局教育課文化財担当の吉光貴裕学芸員に、楠木氏居館発掘調査に基づく楠木氏館の解説、千早赤阪に残る楠氏史跡、千早赤阪村立郷土資料館の資料解説をしていただきました。

また、楠公生誕地の程近くに残る楠公産湯の井戸の解説も。

今も尚、清水が湧き出ていました。

本日最後の訪問地・下赤阪城へ。

大楠公が最初に挙兵した地です。

今は当時の面影はほとんどなく、現在では、のどかで美しい棚田が眼下に広がっています。

実際に、下赤阪城趾に立ち、当時に想いを馳せつつ、楠公研究家・久野潤氏の下赤阪城合戦の詳細解説に参加者一同耳を傾けていらっしゃいました。

第一回楠公研究会の締めくくりは、参加者一同で唱歌「青葉繁れる櫻井の」を合唱。

心を一つにしての合唱は、大きな感動を呼び、非常に気持ちの良いものでした。


近鉄富田林駅にて解散。

その後、希望者は懇親会へ。

大楠公のルーツとその地に纏わる歴史を沢山勉強した後は、参加者相互の更なる交流の為の懇親会へ。

お昼の重儀や講義の緊張感とはまた違う楽しさがあり、参加者皆様、美味しいお料理とお酒をいただきつつ、思い思いに交流を楽しんんでおられました。

第一回楠公研究会にてお世話になりました建水分神社様、吉光学芸員様、千早赤阪村立郷土資料館様、そしてご参加者の皆様には、重ね重ね深く御礼申し上げます。

誠にありがとうございました。

※一般には非公開の聖域が多い為に、お写真を掲載させていただいておりません所も多くございます旨、何卒ご了承くださいませ。